【努力したいのにできない君へ】そんな君でも、努力を続けられるようになる方法

生活改善・実用

何かを変えたい。
ほんまは分かってるねん。
「このままじゃあかん」って、心のどこかでずっと思ってる。

せやのに、身体が動かへん。
ジム行こうと思ってたのに、気づいたらベッドでシコって終わってる。
朝活しようとしてたのに、二度寝して昼前。
「またか…」って、自分にうんざりする。

努力できた日は、たしかにある。
ちょっとだけ気分ええし、自己肯定感も戻ってくる。
でも、それが続かんのが現実や。
気ぃ抜いたら一瞬で戻ってまう。それが悔しい。

今の君も、そんなジレンマの中で立ち止まってるんやろ。
やりたい気持ちはあるのに、できない自分に傷ついてる。
──でもな、それでもええんや。

波はある。それが人間や。
一番あかんのは、できへん自分を責めすぎて、もう何もしなくなること。

せやから今日は、そんな君に伝えたい。
どうすれば、努力を**“習慣”として積み重ねていけるんか。**
その方法を、ひとつずつ、静かに置いていく。

ここから先は、「再スタートの合図」や。
もう一回、始めよか。
焦らんでええ。ちゃんと前に進めるから。

そもそも、なんで努力ってできへんのか?

まず最初に、君が努力できへん本当の理由について話そう。

君は「なんで自分は続かへんねんやろ」って悩んでると思う。
誘惑に負けてまうから? 意志が弱いから? 逃げ癖があるから?
──たしかに、そう思ってしまうのも無理はない。

けどな、それは全部“表面の話”や。
本質はもっとシンプルやで。

努力できへん理由、それは──「君にとって、その努力が“まだ必要やない”から」や。

ほんまにこれに尽きる。
努力できてへん時点で、その努力は「今の君」にとって必要やない。
まずはこの事実を、ちゃんと受け止めることからや。

人間が動くときって、実はめちゃくちゃ単純や。
必要やと思えば、動く。不要やと思えば、動かん。
これだけの話や。

喉がカラッカラになったら、水を飲むやろ?
腹減ったら、なんやかんや食うやろ?
君が今この記事を読んでるのも、どこかに必要性を感じてるからや。

せやけど、おもろいことに──
どれだけめんどくさくても、仕事とかバイトには行くやろ?

寝坊してしんどくても、
腹立つ上司がおっても、
君はちゃんと出勤する。
なんでか言うたら、「行かんかったらヤバい」って分かってるからや。

生活のため、収入のため、評価のため。
何らかの「必要」がそこにあるから、君は動いてるんや。

逆に、「必要やない」と思ったことは、人間は基本やらへん。
それは、エネルギーをムダにせんようにできてるからや。

たとえば今、ワイが「甲子園まで行って砂を拾ってこい」言うても、君はまず動かんやろ?
そりゃそうや。“必要やない”からな。

じゃあ聞くけど、君が今やろうとしてる「努力」って、ほんまに必要なんか?
喉カラカラの時に水を飲むように、
仕事に行くみたいに、「どうしても外されへんもん」になってるか?

もしそうなら、君はもうとっくに動いてるはずや。
でも今、君はまだ動けてへん。
なら──その努力は、まだ「君の中で必要なもん」として成立してへんのや。

これが、君が努力できへん根本の理由や。
意志の問題やなくて、**「必要性の認識」**の問題なんやで。

努力できる人とできへん人の、決定的な違い

ここまで読んでくれた君は、もう気づいてるはずや。
人間は「必要や」と思ったことしか動かん。
努力できてへんってことは──それは今の君にとって「まだ必要やない」ってことや。
この現実を、まずはちゃんと受け止めるんや。

ほんで次に見ていくのが、
「努力できる人」と「できへん人」の違いについてや。

多くの人は、「あの人は才能があるから努力できるんやろ」って言う。
けどな、それはちゃう。ステータスの差でも、遺伝の差でもない。
決定的な違いは、“マインド”の違いや。

努力できる人間はな──
努力を“努力や”と思ってへん。

ただ、それだけなんや。

たとえば、大谷翔平。
彼は毎日のように練習を積み重ねてる。
でもそれは、「やらなきゃ」やなくて「やりたい」からやってる。
つまり、“純粋に野球が好き”ってことや。

もちろん彼にも、「もっと活躍したい」とか「稼ぎたい」って欲はあるやろう。
けどな、根底にあるのは**“好き”やねん。**
ただそれを、もっと深く、もっと高い次元で追いかけとるだけ。
せやから、あれだけの努力を“日常”としてこなせるわけや。

逆に、努力できへん人ってのは、
「努力してる自分」に意識が向きすぎてる。
「頑張ってるのに成果出ん」とか、
「サボったらアカン」とか、
その努力の重さを、ずっと背負ってる。

それはつまり、“好き”よりも“義務感”や見返りが勝ってる状態やねん。

もちろん、「認められたい」とか「金稼ぎたい」って気持ちは悪くない。
むしろ最初の一歩には、そういう欲も必要や。
でもな、それだけやと続かん。

「しんどさに耐えられるほどの“好き”がない」からや。

両者の違いは、ほんまにそれだけや。
その努力を、どれだけ“自然に好き”でいられるか。
言い換えれば、その努力に“50%以上の好き”があるかどうか。

継続できるかどうかは、そこにかかってる。

この考え方を踏まえて、次からは
**「どうすれば、努力を“続けられるもの”に変えていけるか」**を話していくで。

君が努力を継続できるようになる方法

努力を継続するには、たった2つの要素が必要や。
それは──
「その努力を、君が“必要や”と思えてるか」
「その努力を、君が“ほんまに好きか”どうか」や。

この2つがそろえば、君がどれだけ怠け者やとしても、続けられる。
これは断言できる。

“50%以上の好き”があるか?

今、君がやろうとしてる努力に対して、どんな気持ちを持ってる?
やらなあかんって思ってるだけか?
それとも、ほんの少しでも「好きやな」「やりたいな」って感じてるか?

このバランスがめちゃくちゃ大事や。
もし、“51%以上のしんどさ”を感じてるなら──
それはもう、君にとって「必要やない努力」かもしれん。

いったん、立ち止まって考えてみてほしい。

ほんまにそれ、君が自分の意思で選んだ努力なんか?
それとも、「周りに良く見られたい」とか「認められたい」とか、
そういう欲に支配されて動いてないか?

たとえばやけど、
君が「週5でジム行くぞ」って決めたとするやろ。
その時にまず確認すべきは、「筋トレが純粋に好きかどうか」や。

好きやから行くんか?
それとも、「行ってない奴はモテへん気がする」とか、
「週5で行かんとダメなんちゃうか」みたいな、
他人の目を気にして行ってるだけなんか?

もし後者やとしたら、それはもう**“承認欲”が主導権握ってる状態**や。
そら、続かへんのも当然やわ。
その努力には「51%以上のしんどさ」がまとわりついてくる。

そんな状態でジム通っても、一回サボっただけで罪悪感に襲われる。
「俺はダメや」「また怠けた」って、
自分を責めるサイクルに入ってまう。

それって、努力やなくて“奴隷”や。
承認欲の、な。

せやからそんな時は、いったん立ち止まってええ。
週5が無理なら、週2でもええし、月1でもかまへん。
自分に合ったペースでやればいい。

その中で、もし「好き」がちょっとずつ育ってきたなら、
そっからまた増やせばええ。

逆に、「やっぱ好きちゃうな」と思ったなら、やめてもええ。
誰にも迷惑かけてへん。全部、君の自由や。

せやから、“好きでもない努力”の奴隷にはなるな

とりあえず、全部やってみよう

君が努力を継続できるようになるには、
**「自分に合った努力」**を見つける必要がある。

それは週5で筋トレすることかもしれへんし、
コミュ力を鍛えることかもしれへん。
もしくは、副業で収入を得ることかもしれん。

──努力のカタチなんて、この世に無限にあるんや。

その中から、
「自分にとって必要」で、「自分がほんまに好き」なものを見つける。
これができたら、君は自然とその努力に没頭できるようになる。

せやからこそ、今ここで伝えたいことがある。

とりあえず、全部やってみろ。

生きてると、いろんな“欲しい”が湧いてくるはずや。

モテたい。セックスしたい。金ほしい。カッコよくなりたい。強なりたい。認められたい。

どれもこれも、アホらしいようで、実はすごいエネルギーを秘めてる。

こういう“欲”が湧いた時、
君の身体は、「そろそろ動き出す時やで」ってサインを出してる。

せやから、まずはやってみたらええ。

きっかけが100%の承認欲でも、何の問題もあらへん。
それが君を前に進める“火種”になるんや。

モテたいなら、外見磨いたらええ。
強なりたいなら、格闘技でも筋トレでもええ。
お金欲しいなら、副業でも学習でも始めてみたらええ。

マジで何でもええ。とりあえず、やってみろ。

そしたら君は気づく。

「これ、ちょっと楽しいかも」
「いや、なんか違うな」
「もっとやりたい」「もうええかな」

──その感覚で判断したらええんや。

50%以上の“好き”を感じたなら、そっからは追求したらええ。
逆に、“承認欲”ばっかが勝ってる努力は、自然とやめてくで。

無理に続けんでええ。
それが自然やし、正解や。

これを繰り返していくうちに、
君はいつか必ず、「自分にフィットする努力」に出会う。

そんとき、努力は苦しみやなくなる。
“当たり前”になって、気づいたら継続できとる。

その一歩目が、「全部やってみる」ってことや。

最後に──君が持っておくべきマインド

最後に、君にどうしても伝えておきたいマインドがある。
それを胸に置いたまま、この文章を締めくくろう。

たぶん君は、この記事を読んで、何かしらの努力を始めると思う。
その時に──どうか覚えといてほしいことがある。

「やめることは、悪やない。」

努力が続かへんとき、人は自分を責めてしまいがちや。
「なんで俺は続かへんねん」ってな。
でもそれこそが、君を苦しめる一番の原因や。

努力が続かへんかった時は、
**「それは、君にとって“必要やなかった”だけの話」**や。
せやから、きっぱりやめてええ。
それが悪いことやなんて、誰が決めた?

逆に言うと、ほんまに必要なことって、人はやめられへんねん。

たとえば飯。
君は「もう食事やめるわ」って言えへんやろ?
なんでか言うたら、生きるために必要やからや。

せやから毎日ご飯食うて、何十年も続けとる。
それって、自然やろ?

ほんで、自分の好きなもん食べたときって、ちょっと幸せになるやん。
努力も、ほんまはそれと一緒やねん。

君にとって「必要」であり、「好き」である努力は、君の人生をハッピーにしてくれる。
それが見つかれば、努力は苦しみやなく、日々を明るく照らすもんになる。

そしてな、
“好きなことで努力する習慣”が身についたら──
不思議なことに、今まで避けてた“嫌いなこと”にも、ちょっとずつ取り組めるようになってくる。

それは、君の中で「やれる感覚」が育ってきた証や。
小さな自信が、君を“もっと強い男”にしていく。

「必要」で、
「好き」で、
「続けられる」

──そんな努力に、君が出会えた時。
君はもう、努力を“努力”とすら思わんようになる。

それが、継続できる男になるってことや。

今日から、君に合った努力を探してみてくれ。
それこそが、今の君にとって「やるべき努力」や。

この文章が、君のスタートの合図になることを願ってるで。
ほな、また次の記事で会おうや。

コメント

タイトルとURLをコピーしました