「人運が悪いんです」って、よぉ耳にするよな。
上司に恵まれへんとか、友達がクソとか、恋人運が最悪とか。
まぁ正直、生きてたらそんな話にはいくらでも出会う。
でもな──
俺はふと思うんよ。「それ、選んだん誰や?」って。
もちろん、“運”ってものは確かにある。
たまたま入った職場の上司が最悪とか、
たまたま組んだグループの奴がとんでもない地雷とか、そりゃある。
でもさ──
そのあとも「そいつら」と一緒に居続けるって、
それはもう“自分の選択”やろ。
「いや、そんな簡単に動けへんねん」って言いたいのも分かる。
けどな、本気で居心地悪い場所やったら、人間って動くで?
ちょっと例え話するな。
スーパーで買おうとしてた抹茶タピオカミルクティーが、
明らかに腐ってたとする。
それ、買うか?──買わんやろ?
けど人間関係になると、腐っとるのに何故か選んでまう。
「せっかく来たし」とか「安いし」とか、理由つけてな。
でもそれって、無意識に自分の価値を下げてもうてるねん。
人運ってのはな、ほんまは「選び運」や。
君が何を選ぶか。その積み重ねが“人運”って呼ばれてるだけやねん。
もし自分が甘党やったら、
無理してお煎餅ばっか手に取らんでええやん?
素直に饅頭選べばええ。
選べへんのなら、選べるようになればええだけや。
価値を持ってたら、ちゃんと価値あるもんと交換できるからな。
欲しいアイスが1000円やったら、
「なんで当たらへんねん」やなくて、1000円稼げばええ話やろ?
「運が悪い」って嘆いたところで、何も始まらんねん。
君も分かるやろ?
金払わなアイスもらえへんってのは、誰が見ても明白や。
それと一緒やで。
つまりな、
今ある人間関係ってのは、君が“払った価値”で成り立ってるんや。
100円の関係には、100円の出来事しか起きへん。
それだけの話や。
もし今の周りの人間がしょーもないと思うなら、
自分の価値を見直すタイミングかもしれん。
“安かろう悪かろう”が自分の周りに増えてきたならな。
どうしたらもっと質のいいもんと出会えるか?
──それは、自分の価値を高めることや。
努力の本質って、結局そこやろ。
自分を育てて、より良いものと交換できるようになることや。
だから俺は言いたい。
「人運が悪い」なんて言葉で、自分の人生まとめるな。
それ、自分の価値のなさを晒してるだけやで。
むなしいやろ、そんなの。
それより前向いてこ。
そしたら君をちゃんと選んでくれる人も出てくるし、
君が本気で選びたい人にも出会えるかもしれん。
覚えといてくれ。
この世界は、全部“等価交換”でできてるんや。
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