【友達がつまらない理由】本当につまらないのは君かもしれない

習慣・マインドセット

今日はな、「友達がつまらん…」ってモヤモヤしてる君に向けて、大事な話をしていく。

「なんかアイツ、最近おもんないねんな…」
これな、正直誰しも一度は思ったことあるやろ。
昔よう遊んでた友達と久しぶりに会った時。あるいは、普段一緒におる奴とのふとした瞬間。
「え、こんな退屈なヤツやったっけ…?」って。
そういう瞬間、まあまあある思う。

ほんで厄介なんが、相手が“友達”やからこそ、そんなふうに思いたくない気持ちもあるってことや。
でもな、どうしてもおもんない。
なんやったら、ちょっとイラっとすることすらある。
――わかるで、その感じ。

で、君は今まさにその渦中におるわけやな?
なら今日の記事は、まさに君のために書いてる。

俺自身もな、たまに思うことあるんや。「あいつ、最近なんか合わへんな…」って。
でもな、そこで終わらんのが大事なんや。
この「つまらん」という感覚、実は悪いもんちゃう。
むしろ、自分の内面に目ぇ向けるチャンスなんや。

もし今の君が、「友達がつまらん」と感じて、
なんか不安になったり、心がザワついたりしてるなら――
それは自分の中に、まだ見直すべき感覚があるってことや。

タイトルにも書いたけど、ほんまにつまらんのは“友達”なんか?
それとも、“君”の方なんか?

耳に痛い話かもしれん。
けど俺は、ここでハッキリ伝えたい。

「友達がつまらん」って感情を抱く時、
それって単に相手の問題ちゃうことが多い。
むしろ、自分の内側の変化、成長、あるいは“停滞”が関係してる。
つまり、気づいたもん勝ちや。

この記事では、
「なんで友達がおもんないって感じるのか?」
「そもそも友達って何なんか?」
「どうやって、自分も相手も面白く生きるか?」
そんな話を、兄貴としてまっすぐ届けていく。

読んだあと、
きっと君の中で、何かが少しずつ変わりはじめるはずや。

ほな、いこか。
“つまらん”の正体、暴いていこうや。

大前提──人間関係は全部「等価交換」や

ほな、ここからはちょっと踏み込んだ話をしていくで。
まず最初に、ぜったいに押さえてほしい「大前提」がある。

それはな──
この世の人間関係は、全部 “等価交換” で成り立ってるってことや。

等価交換っちゅうのはそのまんまや。
「等しい価値を差し出し合うこと」。
この前提があるからこそ、君と誰かとの関係はバランスを保てるんや。

たとえば──
・よう一緒に遊ぶ友達
・ゼミや授業で隣に座る相棒
・同じバイト先で汗かいてる仲間
・レストランでご飯出してくれる店員さん
・週1でベッドの上で繋がってる相手
・通りすがりに笑顔をくれた近所のおばちゃん

これ全部や。
君の人生にちょっとでも関わる人たちは、何かしらの価値を交換してる

分かるか?
コンビニのレジ打ちの兄ちゃんだってそうや。
君がパンとお茶を買う、その代わりに彼は給料をもらってる。
お互いがwinになるから、関係が成立してんねん。

この感覚が、まずめっちゃ大事や。
ここをスルーしたままやと、しんどい人間関係ばっかり生まれてまう。

早い子はもう気づいたかもしれへんな。
「なんで俺、友達がつまらんって感じたんやろ」って。
安心せぇ、まだ分からんでもええ。
このあと、ちゃんと深掘ってくからな。

とにかく今はこれだけ覚えといてくれ。
「人間関係は等価交換でできてる」
この前提がないままやと、君は気づかんうちに“求めるだけの人間”になってしまう。

そういう奴って、だいたい文句ばっかり言うてる。
「気が利かんわ」「全然楽しくない」「なんで分かってくれへんの?」
挙げ句の果てに、イライラした態度とって、周りの空気まで悪うしてまう。
けどな、よう考えてみ。
君が何も与えてへんのに、なんで相手から気持ちええリターン返ってくるねん。

500円のタピオカパン欲しいなら、500円は払わなアカンやろ。
それと同じや。
“価値を差し出して初めて、価値が返ってくる”んや。

ちゃんとwin-winの関係を築けてる人間って、他人に文句なんか言わへん。
だって、自分が与えた分だけ、返ってくるって知ってるからや。

これは友達関係だけの話ちゃうで。
恋愛も、仕事も、全部そうや。

「ええ出会いがない」って愚痴る前に、自分の魅力磨け。
「給料が安い」って嘆く前に、会社に対してそれ以上の価値出せ。
それができてへんのに、口だけ達者な奴…おるやろ?よう見かけるやろ?

君は、そっち側に立ってへんか?
胸に手を当てて、静かに考えてみてほしい。

なんで「友達がつまらん」って思ってまうんか──2つの理由

大前提でも話したけど、人間関係は等価交換でできとる。
そやから、「友達がつまらん」って感じた時、その理由を見極めるのはめっちゃ大事なことや。
で、理由は大きく分けて2つしかない。

理由①:合わんようになっただけ。つまり“しゃーない話”

まず1つ目は、誰のせいでもない、ただの変化や。
これはほんまにしゃーない。

人ってな、毎日の思考とか、行動とか、
ちょっとした経験でガラッと変わっていく生きもんなんや。

価値観も、考え方も、少しずつズレていく。
なんやったら、ある日突然180度変わることすらある。

せやから、「昔は合ってたのに、今はちょっと違うな」ってなるのは自然なことや。
たとえば、小学生の頃にめっちゃ夢中になってたドロケイ。
大人になった今、誰もやらへんやろ?
それと同じことや。

学生時代、アホみたいに盛り上がってた友達が、
久しぶりに会ったら仕事の愚痴しか言わん。
──そういうこともある。
寂しいけど、それが現実や。

そんな時は、相手の話をとことん聞いてやるのもええ。
そいつがしんどい中で、君にだけは弱音を吐けるって思ってる可能性もあるからな。

逆に、「しんどい話聞くのキツいな」って感じるなら、
一旦、距離を置くのも全然アリやで。

自分にとって、ちょうどええ距離感を探ること。
それが大人の人間関係やし、余計なストレスを溜めへんコツや。

でもな、「こいつがしんどい時くらいは話聞いたろ」って思える関係。
それはめちゃくちゃええ関係や。
そう思える君でいることが、相手へのGIVEでもある。

理由②:つまらんのは“君のほう”や

ほんで2つ目。
こっちはちょっと痛いかもしれへんけど、大事な話やからちゃんと聞いてな。

つまらんのは、友達やのうて君自身かもしれん。

これはな、明確に「改善の余地アリ」や。
でも逆に言えば、ここに気づけた時点で、君は変われるってことや。

じゃあどうやって判断するか。
それは、**「今、君は人生を楽しめてるか?」**この質問でわかる。

胸に手を当てて、よう考えてみ。
今の自分に、正直に答えてみ。

「YES!めっちゃ楽しいわ!」って言えるなら、それは素晴らしい。
君は今、魅力的に生きとる証拠や。
だからこそ、もし「友達がつまらん」と感じたとしても、
それは“合わなくなった”のほうが原因やろう。

ただな、そうやって前に進んでる君やからこそ、
ときどき立ち止まって、自分を見つめ直す時間も大切や。

もし、今の延長線にちょっとでも違和感があるなら──
ヒントになりそうな記事を、ここに置いとく。
無理に読む必要はない。けど、気になるもんがあれば拾っていったらええ。

でもな、
もしこの質問に「うーん…あんま楽しくないかも…」って感じたなら──
その“つまらん”の原因は、君自身にある。

魅力のない人間とおって、周りが楽しめるわけないやろ?
君が人生にワクワクしてないなら、その空気は自然と伝わるんや。

たとえばや。
君が誰かとご飯行ってるのに、相手がスマホばっかり見てたら、どんな気分や?
「なんや失礼なやつやな」って思うやろ?

でも、よう考えてみ?
君との会話よりスマホの方が“マシ”やと思われてる可能性もあるんや。

厳しいけど、これが現実や。

魅力ある奴と一緒におったら、スマホなんか触らへん。
時間があっという間に過ぎる。
話も盛り上がる。空気が楽しい。
せやろ?

せやからな、
君が退屈な空気出してたら、相手もそれに引っ張られて退屈になる
結局、人は鏡みたいなもんやからな。

「友達」についての考え方

ここまで読んで、「ああ、なるほどな」って思ったやろ?
友達がつまらんって感じる理由、もう見えてきたはずや。

もし君が、2つ目の──
**「つまらんのは自分や」**に当てはまったんなら、
ここからの話はしっかり最後まで聞いといた方がええ。

なぜなら、
今の君は“友達に対する考え方”が歪んでる可能性が高いからや。

自分の人生すらまともに楽しめてへん状態で、
「アイツおもんないわ」って言える、その神経が問題なんや。
──正直、求めすぎやで。

せやから、ここでその歪んだ友達観、修正していこうや。
これは“友達”って枠に限らん話や。
恋愛も、仕事も、家族も、全部つながってくる。

本質はいつもひとつ。「give」や。

この考え方がちゃんと腑に落ちたとき、
ほんまに色んなことが回り始める。
恋愛も、仕事も、友達付き合いも──全部や。

それが、今日のこの文章で君に渡す俺なりのgiveや。

受け取るかどうかは、君の自由やけどな。
俺は変わらず、愛を持って与え続けるで。

自分の不足を友達で満たすな

「友達」って言葉を聞いて、君は何を思い浮かべる?
一緒に遊んでくれる相手?
弱音を吐ける存在?
それとも、寂しさを埋めてくれる誰か?

それら全部、悪くはない。
けどな──
「自分の不足を、友達で満たす」のはちゃうねん。

今つまらん人生を送ってる君が、
もし無意識にでもそういうことしてるなら、そこを直さなあかん。

・一人でいるのがしんどいから、誰かを誘う
・仕事のストレスを、愚痴として友達にぶつける
・満たされへん承認欲求を、友達の「わかる」で埋める
・金が無いから、友達に奢らせる

──どれか思い当たるフシ、ないか?

「いや俺はそんなつもりない」って思ってても、
つまらん人生送ってて、友達がつまらんって感じてるなら、アウトや。
君はもう、無意識に“もらう側”に立っとる可能性が高い。

もし君が、自分でちゃんと満たされてる人間やったら、
合わへん友達とわざわざ会う必要なんかないはずやろ?

自分の不足を友達で満たしてええことなんか、ホンマに一つもない。
マジで誰も得せぇへんねん。

さっきも言うたけど、人間関係の本質は「give」や。
君が友達にgiveすれば、その友達も「返したろ」って思う。
ほんで、その返しを受け取った君は、またgiveしようと努力する。
こうしてgiveの連鎖が生まれて、
お互いが成長し合う、ええ人間関係が育っていくんや。
──それが自然なかたちや。

でな、これって君が好きなゴンチャでも同じことが言える。

あのゴンチャは、
毎日頭ひねって、何回も試作して、こだわって、
「どうやったらもっと美味いタピオカ出せるか?」って、
試行錯誤と努力の末に、一杯のタピオカミルクティーを俺らにgiveしてくれてる。

ほんで俺らは、それを飲んで「うまっ!」ってなって、
そのgiveに対して600円を返す。
そしたらゴンチャは、その600円を使って、
またもっと美味いタピオカ抹茶ミルクティーを開発するために努力する。
ほんで、またそれを俺らにgiveしてくれる。
俺らは今度630円を出して返す。

この繰り返しや。
この循環の中に、「育つ努力」と「返す喜び」があって、
結果的にゴンチャも大きくなって、
俺らも幸せになる。

──これが等価交換で成り立つ、ほんまもんのwin-winや。

でもやな、
ここでちょっと考えてみてくれ。

もし君が「喉渇いたわ〜」って言って、
そのゴンチャをタダで飲んでもうたらどうなる?
(※もちろんこれは概念の話や。警察に捕まるとかは置いといてや)

そらもう、その瞬間は最高やろな。
金も払わんでええし、美味いし、めっちゃ満たされる。
「うわ、得したわ〜!」って思うやろ。

でもな、それって長続きする幸せちゃうねん。

君が金出さんかったら、ゴンチャには何も返らん。
原価も回収できへんし、スタッフの給料も出ぇへん。
次の新作を開発する余裕なんかあるわけない。
ほんで、気づいたら店は潰れてる。

結果的に、君は二度とあのタピオカを飲まれへんようになる。

──つまり、一時的には得してるように見えて、
最終的には誰も得してへん世界ができあがってもうてる
ってことや。

これが、giveなき関係の末路や。

「くれるもんはもろとこ」「もらえるうちはラッキー」
そういう感覚で他人と接してる限り、
君のまわりからは、じわじわと人が減っていく。
最初は気づかへんかもしれん。
でも気づいた時には、ほんまに大切なもんが何も残ってへんねん。

話を、もう一回“友達”の話に戻そうか。

君が「なんか最近アイツおもんないねん」って思ったその瞬間。
ほんまは、君自身が自分の不足を友達で埋めようとしてもうてる可能性が高い。

せやからや、
その時点で君のgiveは消えてるんよ。
満たしてもらうことが前提になってもうてるからな。

冷静に考えてみてや。
「不足を満たしてもらってる側」ってのは、受け取り側や。
君はすでに、友達からgiveされとる立場なんや。

そら、giveしてもらったら嬉しいで。
ありがたいし、助かるし、ホッとするやろ。
まるで無料でタピオカミルクティーを飲めたときの快感みたいや。

でもや。
その「もろた側の快感」ばっかりに浸ってたら、見えへんもんがある。

──その友達の気持ちや。

相手はどう思ってる?
「またこいつにgiveしたい」って思ってくれてるか?
一回はそう思ってくれるかもしれん。
けどそれ、ずっと続くと思うなよ。

giveばっかりさせて、君が何も返さん状態が続いたら、
その子はな、静か〜に君から離れていくで。
文句も言わんし、ブロックもせんかもしれん。
でも、君が知らんうちに、スーッと遠のいていく。

それが現実や。

これ、もう一回ちゃんと理解しておいてくれ。
これは「等価交換」になってへんねん。

もちろんやで?
君が友達からのgiveに感謝して、
「よし、俺も頑張ろう」って努力し出したなら話は別や。
その瞬間から、giveの循環は復活する。

けどな、
その“ありがたみに気づくまで”友達がずっとgiveし続けてくれる保証は、どこにもない。

そもそも、
そんな魅力のある奴が、
「今の君」と関わり続けるメリット、ほんまにあるか?

残念やけど、たぶん無いわ。

そうなると、君はどうなるか。

与える努力もせんと、ただ欲しがるだけの人間になってまう。
次の居場所、次の友達、次の刺激──
短期的な“宝探し”みたいな生き方になるんや。

けどそういうやつって、
どれだけ手に入れても、心は満たされへん。
ずっと「足りへん、足りへん」って言いながら、
次の誰かに期待して、また誰かを消費する。

それが続いた先に残るのは、
関わる人間、全員が疲弊して、離れていく未来や。

でもな。
今この話の本質が見えた君は、ここで変われる。

君がもし、「あかん、俺そっち側やったわ」って思ったなら、
まずやるべきことは一つや。

他人からのgiveばっかり求めるんやなくて、
“自分からgiveする努力”を始めることや。

その方が、最終的に君も、君のまわりの人間も、全員が幸せになるからや。

実際に他人に「give」する方法

ここまで読んできた君なら、もう本質は見えたはずや。
「与えられへんから、関係が詰まる」──それが全部の根っこやったな。
ほんで今、君はこう思ってるはずや。

「ほんなら、俺もgiveしたい」って。

その気持ち、めちゃくちゃええやんか。
ほんまにその時点で、半分はもう変わってる。

けどな、「giveする」って簡単に言うても、どう動けばええか分からんもんやろ?
安心せえ。ここでは、実際にどうgiveするかを教える。
やることはたったの2つや。

① 自分の不足を自分で満たす
② その満たしを、人に分け与える

──それだけや。いこか。

1.自分の不足感を自分で満たす

まず最初のステップは、
「自分の不足を、他人で埋めようとするクセ」から抜け出すことや。

これはもう何回も言うてるけど、ほんまここが出発点。
君がつまらん人生を送ってる限り、
「誰かが俺を楽しませてくれへんかな」って発想になる。
その思考でおる限り、ずっと他人に期待して、他人を消費し続けることになる。

せやから今すぐやるべきことは、これ一択。

「自分の人生、まず自分で楽しませろ。」

ほんまにそれだけや。

「誰かといないと寂しい」
「愚痴を聞いてもらわなやってられん」
「誰かに褒められなきゃ、自分の価値が分からん」

──全部、他人で埋めようとしてる証拠や。
自分で自分を満たす力がないから、そうなる。

せやけど本来、人間関係ってのはこうあるべきや。

「ひとりでも楽しい。でも、あいつと関わるともっとええ」

これがほんまの関係や。
誰かをオモチャにせんでも、君はひとりで立てるようになるべきなんや。

自分の不足は、自分で満たす。
その努力を始めろ。
自分と向き合って、自分と遊んで、自分を磨いて、
「ひとりでも楽しい」って言える人生を作ってみろ。

そしたら俺は、また君にこう問うやろう。

「今の君は、人生楽しめてるか?」

そのときは、胸張って「YES!」って言えるはずや。
ほんまに与えたくなる日が来る。約束する。

もしやり方が分からんのなら、これを読んでみたらええで。
👉【人生つまらない君へ】そんな君に明日が楽しみと言わせてやる

2.実際にgiveする

ほんでや。
自分の人生がちゃんと楽しいもんになったら、君の中の不足感は消える。
そしたら自然と、次のステップに進めるはずや。

それが、「実際にgiveする」ことや。

君が育てた楽しさ、幸福感、余裕──
それを、誰かにちょっとずつ分けていくんや。
それこそが本当の意味でのgiveや。

ここで大事なんは、ほとんどの男は“giveしてるつもり”になってるだけってことや。

実際はな、
・自分の自慢話
・終わらん仕事の愚痴
・友達や恋人の悪口
・将来への不安
こういうもんばっかり他人に共有してる奴、山ほどおる。
それってgiveちゃうねん。
ただの“垂れ流し”や。

ほんまのgiveってのは、
相手の承認欲求を満たしてあげること。
相手が安心できる空気を作ってあげること。

そういう“場”を提供できる人間に、君がなれたら──
マジで頭一つ抜けるで。

するとどうなるか?
相手は「また会いたい」って思うようになる。
君という存在が、相手にとって“安心できる存在”になる。
そこにgiveが生まれる。
ほんで、返ってくる。

これが本物の循環や。

けどな、世の中にはそうやって与えても、
それを当たり前やと思って、君を雑に扱う奴もおる。

毎回遅刻してきたり、
話しててもスマホばっかいじったり。

──それ、君のことを大事にしてないってことやで。

ほんまに好きな人の前では、そんなこと絶対せぇへん。
言い訳する奴もおるけどな。
「いや、気を許してるからこそ、雑になってまうねん」って。

アホ抜かせ。

気を許してるからこそ、大事にせなアカンのやろが。

親しき仲にも礼儀あり。
ほんまに関係を大事にしてる奴は、近いからこそ雑にせぇへん。

せやからな。
君がせっかくgiveしたのに、それを踏みにじるような奴は──
容赦なく切れ。

無料でゴンチャ飲もうとしてくる奴に、
タピオカミルクティーを与える必要なんか一切あらへん。

変に気ぃ使う必要もない。
そんなんに情けかけてる場合ちゃう。
そういう相手を切られへん君がいたら、それは君の中の不足感のせいや。

そんときは素直に認めて、
またSTEP1からやり直せばええ。
自分を満たして、もう一回giveの循環を始めたらええんや。

giveする時に気をつけること

最後に、実際にgiveするときの“たったひとつの注意点”を伝えとく。

それはな──
「噓をつかんこと」や。

これがめちゃくちゃ大事やねん。

ほんまは思ってもないのに褒めるとか、
下心ありきで優しくするとか、
見返りが欲しくて近づくとか、
そういう“偽ったgive”は、絶対やめとけ。

マジでダサいし、すぐバレる。
人間って、無意識のとこでちゃんと見抜いてるからな。

そういう噓が混じる時点で、
君の中にはまだ不足感が残ってる証拠や。
そんときは素直に認めて、またSTEP1に戻って、自分を整え直せばええ。

自分の心が安定してへんうちは、ほんまもんのgiveはできへん。
絶対に、できへんねん。これは断言する。

せやからまずは、自分自身にとことんgiveしろ。
自分の喜び、自分の安心、自分の成長。
それらを全部、自分で満たすことや。

その上で、余裕が出てきたら、
そのあたたかさを少しずつ他人に分けていったらええ。
giveってのは、そうやって始まるもんや。

いっぱい与えて、いっぱい愛せ。
それが自然な人間の形や。

ちなみに、噓のgiveと本物のgiveでは、相手の反応がまったく違うってのも覚えとけ。
相手の表情、態度、空気感。
ぜんぶ正直やからな。

そこで気づけるようになったら、
君自身のgiveが“ほんまもん”か“ごまかし”か、ちゃんと見極められるようになる。

最後に

今日は、
「友達ってなんなんや?」という大事な問いに対する本質の話をしてきた。

「友達がつまらん」と感じた君に、
その裏側にある構造と、自分自身の在り方を伝えてきたつもりや。

もしこの記事のどこかで、
「あ、これ自分のことや…」って思ったとしたら──
君はもう半分以上、変わり始めてる。

あとは、気づいたことを行動に変えていくこと。
日々コツコツ、自分に向き合って、育てていくことや。

そしたらな、
君が変わるだけじゃない。
君のまわりの人間も、君のおかげで変わっていく。
ほんで気づいたら、人生が何倍もおもろくなってる。

全ては、等価交換や。

君のレベルが、まわりのレベルを決める。
まわりのレベルが、君のレベルを映す鏡になる。
けどな、君が直接変えられるのは「君自身」だけや。

せやからこそ、
他人に期待するんやなくて、自分の価値を黙って育て続けろ。
そしたら自然と、まわりも変わっていくから。

600円のタピオカミルクティーを買えるのは、600円を持ってる人だけや。
その価値を生み出すのは、他人ちゃう。君や。

「全ては等価交換である」──この原理を、心のどっかに置いといてくれ。

そして、君が毎日1ミリでも成長できるように、俺はこれからも全力でサポートする。
悩んだ時、自信がなくなった時、答えが見えへん時。
またここに戻ってこい。
いつでも待ってるからな。

これを読んで動いた君が、“本物の友達関係”を築けることを、心から願ってる。

じゃあまた、次の記事で。

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